作品には、
書き始めた理由があります。
このページでは、
物語の奥にあった問いや思いを、
短い言葉で書き留めています。
サラリーマン時代、毎日同じ改札を通り、同じ電車に乗り、同じ景色の中で働いていました。
大きく何かが変わるわけではない。
けれど、人は少しずつ、心の余白を失っていく。
そんな日々の中で、ある時ふと思いました。
「今通ろうとしている改札ではなく、
別の改札を通っていたなら、
まったく違う人生があったのではないか」と。
その感覚が、『マナーの天使』の始まりでした。
最初は、ただ電車の中で感じる小さな違和感を書きたかったのだと思います。
リュックが当たる。
周囲が見えていない。
些細なことで、心が荒れていく。
けれどある時、
「この人には、後ろに目があるわけではない」
と考えました。
迷惑をかけようとしているのではなく、
ただ、“気づけていない”だけなのかもしれない。
そう思った瞬間、
マナーとは単なるルールではなく、
相手の存在をどこまで想像できるかということなのではないかと思うようになりました。
『マナーの天使』は、
最初からシリーズになる予定ではありませんでした。
けれど書き終えたあと、
電車だけではなく、
車の運転にも、
街を歩く人々にも、
同じような「心のすれ違い」があることに気づきました。
ドライブ編では、
まだ「あおり運転」という言葉が今ほど広く知られていなかった頃、
ハンドル越しに失われていく思いやりを書こうとしました。
東京編では、
スマートフォンを見つめたまま歩く人々の姿に、
どこか「誰かの存在が見えなくなっていく時代」を感じていました。
また、東京赴任時代、
視覚障害のある同僚に対して、
何か声を掛けようと思いながら、
結局何もできなかった自分の弱さも、この作品には残っています。
正しいことを言う人にはなれても、
本当に優しくなれるとは限らない。
その歯がゆさは、
後に障害者施設で働くことにつながっていったのかもしれません。
そして不思議なことに、
『マナーの天使』を書き続ける中で、
自分自身もまた、
「人を思いやるとはどういうことなのか」
を問い続けるようになっていきました。
このシリーズは、
マナーについての物語ではなく、
“人は、本当に誰かの存在を想像できるのか”
という問いを書き続けた物語だったのだと思います。