『光の継ぎ手』を書こうと思ったきっかけは、
世界のどこかで繰り返される紛争や戦争でした。
なぜ、人は争いを終わらせることができないのか。
ニュースの向こう側で、
誰かが傷つき、
誰かが涙を流している。
けれど本当は、
誰一人、
「争いたい」と願って生きているわけではないはずだとも思っていました。
人種も違う。
文化も違う。
考え方も違う。
それでも、
誰かの幸せを願う気持ちだけは、
世界で共通しているのではないか。
そんな思いが、
『光の継ぎ手』の始まりでした。
『マナーの天使』が、
身近な人との距離を描いた物語だとするなら、
『光の継ぎ手』では、
もっと遠くにいる誰かへ、
人はどこまで思いを届けられるのかを書こうとしました。
舞台を日本だけにしたくなかったのも、
そのためです。
世界の人々が、
同じ物語を読み、
同じ問いを共有できたなら。
そこから、
ほんの少しでも、
互いを理解しようとする気持ちが生まれないだろうか。
そんな願いから、
この作品は、
日本語だけではなく、
英語、そしてアラビア語でも形にしていきました。
けれど、
『光の継ぎ手』を書き終えた後、
私は次第に、
「祈るだけでは届かないもの」があることも感じ始めました。
世界には、
利益だけを追い求める構造があり、
既得権益があり、
声を上げにくい空気がある。
そして、
「おかしい」と感じたことすら、
簡単には口にできない時代になっているのではないか。
その思いが、
次作『祈りの先へ』へとつながっていきました。
『祈りの先へ』では、
祈りの美しさだけではなく、
「問い続けること」の必要性も書こうとしました。
人は、
祈るだけでなく、
問いを失ってはいけない。
そう感じていたのだと思います。
そして三作目では、
さらに、
世界に共通する価値観や規則を作れないだろうかという思いへと進んでいきました。
宗教も、
文化も、
歴史も違う。
それでも、
人類が共通して持てる「言葉」は存在しないのだろうか。
その問いは、
今もまだ、
私の中で続いています。